長いこと…

1ヶ月程ですか。

ご無沙汰しておりました。


昔、私が高校一年生の頃です。

とても大好きでたまらなかった祖母が亡くなりました。


私は15歳のときに実家のある石垣島を出て、一人暮らしを始めた頃でした。

あの頃は、まだ携帯電話もそこまで普及しておらず、ポケベルと家の固定電話が連絡手段でした。

島を出るとき、笑顔で送り出してくれた祖母の目には、寂しさがこちらを覗いているようでした。

私が生まれて島を出るまでの15年間、全ての時間を共に過ごしてきた孫が離れてしまうことは、とても誇らしいと同時にとても辛かったことでしょう。


ある日、家の電話が鳴りました。

それは祖母からの電話でした。

私は吃驚しました。

なぜなら、祖母は自分から電話をする人ではなかったからです。


恥ずかしそうに嬉しそうに、私と会話をする祖母の姿がそこにはありました。

数十分の会話が終わり、祖母の「元気で頑張れよ~」という言葉で電話を切りました。


その2日後に祖母は亡くなりました。


夜中に母からもらった電話に悪態をつき、「そんなことはない!!」と…自分に何度も何度も言い聞かせていたが、実家に戻り、柩で横たわる祖母を見て、私は諦めずにはいられませんでした。


そこからの数ヶ月、私は眠れぬ夜を過ごしていました。

目を瞑ると、そのまま死んでしまうのではないかとか、死んでしまうとどうなってしまうのかなど、毎日毎日床に就くとその事ばかりが頭の中をぐるぐる駆け巡っていました。


今思えば、私が『死』や『あの世』のことを深く考えるようになったのは、祖母の死があったからでした。


私たちは、愛する者と死に別れていかねばならない日は必ずきます。

例外はありません。それが『娑婆』(耐え忍ばねばならない世界)です。


なんの希望もなかった私に、

当時、もう二度と会う事が出来ないと信じ、苦しんでいた私に、お釈迦様は「また会える浄土があるんだよ」と阿弥陀佛の浄土を説いて下さった。

その浄土を喜び「南无阿彌陀佛」と念佛を申しながら生きて行く生き方こそが、阿弥陀佛が願われた生き方でした。


梯實圓和上は「ほんまは還相の菩薩さんは周りにおるんやろうなぁ。我々にはわからんだけで。」と仰っていた事を思い出します。


私にその事を教えてくれた祖母は、還相の菩薩だったのでしょう。

だからこそ、私は精一杯生きていきます。


お浄土で祖母に「有難う!」と胸を張って言えるように。。


【舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。舎利弗、少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず】

                                          『仏説阿弥陀経』

高槻市 津之江町 浄土真宗 本願寺派 西教寺

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