あれから80年…

 6月23日は『慰霊の日』

沖縄県内では全てが休日となり、一日を通して戦没者を追悼する日と定められている。

子供の頃から学校やおじぃおばぁから戦争の話を通して、戦争の恐ろしさや愚かさなどを聴かせてもらいながら、戦争について考える大切な日なんです。


仏教において『霊』という存在はとても不安定です。『霊』という言葉をどう捉えるのかでそれぞれの解釈が変わってしまうんです。

日本において一般的な霊は幽霊(霊魂)ですが。


まぁ…


不安定なものはそんなに気にしなくてもいいんですけどね。

横に逸れましたが兎に角、この慰霊の日は、戦争で犠牲になった方々の死を悼み、二度とこのような馬鹿な戦争はおこさない!!と再認識する日として大切にしてきました。


戦争は善と善のぶつかり合いです。そこに悪はありません。

「自分が正しい!あいつが間違っているんだ!言っても聞かないからやるしかない!」

とまぁこんなところでしょうか。愚かでしょ?


でもね…


私たちにもこれは当てはまるんですよ。

他人に腹立てたり、喧嘩になる時なんて全部コレよ。

ほんで言うこと聞かんから、身体的な暴力か言葉の暴力を使うんでしょ?

それで人が死ぬこともあるんだから…もう戦争と一緒よね。


自己中心的に生きてる者に、善も悪も判断できるわけないんだから。

もしそれが出来るんなら、戦争なんて起きるわけ無いですよ。


こんな人間だからこそ。。


阿弥陀如来は我々のことを『凡夫』といい、お釈迦様を通して、本来の善悪を我々に説いてくださったんです。


宗教とは、人間がこの娑婆を生き抜いていく上で【 要(かなめ)】となるもの。

何が善で何が悪かわからん人間に、しっかりとした基準を与え、それを憑む人間を支え続けていくものなんだよね。


お釈迦さまの言葉を基準として生きるのは『仏教』

お金を基準とするなら『お金教』

俺は無宗教だ~!といって自分を基準にしているものは『自分教』

私の人生に後悔のないように、自分の宗教はキチッと定めておくといいですね。



【聖人の仰せには「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善とおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、悪しさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念佛のみぞおはします」とこそ仰せは候ひしか。】    『歎異抄』

高槻市 津之江町 浄土真宗 本願寺派 西教寺

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